目的に向かって進むと決め、歩き始めた人を応援することが出来るが
進むか進まざるべきか、考えて、動かない人にはどうすることも出来ない。
「歩き始めて、どんな結果になったとしても大丈夫。それが自分に必要な体験だったのだ。」と受け止められるか。
アタマが望むような結果が出せず、「こんなことだたら、始めなければ良かった。」と思う未来を恐れていては前には進めないではないか。
私たちは、何をしに生まれてきたのか?
安全だと信じているその場所でじっと動かず、柵の中の飼いならされた羊で居るためだろうか。
それとも、常識という柵から抜け出し、最大限に自分を輝かせて生きるためだろうか。
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