占いが当たっているということ

『紫微斗数占いや四柱推命や算命学など、出生時を使ってその人について詳しく調べる占いをして「とても良く当たっている。」ということは、「自分の運命や運勢を変える努力をしてこなかった。」と言っていることと等しいことであり恥ずかしいことなのです。』

と、何年か前に某先生に言われたことをふと思い出した。

恥ずかしいかどうかは私にとってどうでもよい問題なのであるが、自分が持って生まれた運命や運勢を変えるにはそれなりの努力が必要なのは確かだ。

というのは、命盤や命式と呼ばれる占いのカルテを作れば、その人の特技や苦手だと思っていることなどが良く分かる。

そして、得意なことは進んで出来るが、苦手なことは気づかぬうちに避けて通ってしまう。

カルテに表れている吉凶の凶の部分を吉に変えるには、その避けてきたことを克服すれば良いのだ。

時々、「占いをして悪い結果が出たら怖いから占いたくない。」とか、「良い結果だけ信じて、悪い結果は信じない。」という言葉を耳にする。

「悪い結果」とは何だろうか?

魂の成長にとって「悪」の存在は実は不可欠である。

もし、「良い結果」しかなかったら「良い」が当たり前であり「良い」は存在できない。裏があって表が存在出来るのだ。

また、占いのカルテで「(自我にとって)悪い」を見つけることでそれを「良い」に変えられる。

 

占いをしたくない=自分自身を見たくない=今の自分のままで良い ということになる。

 

今の自分をよりハッピーに変えたい人を私は応援します!